2020.12.22
<映画:どついたるねん> #阪本順治監督 #赤井英和主演 #原田芳雄助演 #期待通りの大阪『浪速区』はすごい #原田芳雄の体の仕上がりがすごい
こんばんは。
No Cinema, No Life.
火曜日担当のツノムラです。
12月になって、NHKの連続テレビ小説「おちょやん」が始まって、少しハマりだしています。僕自身が大阪出身、大阪在住ですから、大阪が舞台のドラマが好きです。
毎朝7時30分〜45分の15分間、主演の杉咲花ちゃんの笑顔をテレビで見てほっこりしてから会社に出勤するルーテーンです。
大阪市浪速区の道頓堀にある劇場と芝居茶屋が舞台で、杉咲花が演じるのは松竹新喜劇出身で実在した女優『浪花千栄子』さんの女一代記。
僕を含め昭和世代には街場の電信柱に掛かっている「オロナインH軟膏」の看板で有名なあの女優さんです。
今期の朝ドラのスタート視聴率が良くないらしいのですが、僕は楽しんでいます。トータス松本さん演じる父親がとんでもなく酷い「毒親」で、松本さんのことが嫌いになりそうになりますが、ウルフルズのことは嫌いにならないで下さい。
さて、話がそれました。
最近、僕が気になるのは『浪花千栄子』さんではなく、『浪速区』です。
日本で一番小さい面積の行政区。それが、大阪市の『浪速区』なんです。
しかし、たったの4.4平方Km(縦横2kmの四角形)の小さなエリアにディープな「大阪イメージ」のエッセンスがはち切れんばかりに、濃縮100倍くらいの蜜なソースに煮詰まっているのが『浪速区』です。
例えば、吉本新喜劇の「なんばグランド花月」、道頓堀の「グリコ・かに道楽の看板」、千日前界隈の「ミナミ繁華街」、恵美須町の「通天閣と新世界」、「ジャンジャン横丁と串カツ」、日本橋の「でんでんタウンとアニメオタク」と「夜の街:裏なんば(味園ユニバース界隈)」、「大阪球場(南海ホークスの元本拠地)、「大相撲春場所(府立体育館)」。
いわゆる「ミナミの帝王」の萬田銀次郎(竹内力さん)が活動している界隈のイメージが『浪速区』だと思って間違いないのでしょうか(多分)。
これら大阪アイコンの全てを『浪速区』が内包し、濃厚ソースに仕上がっています。
しつこいようですが、大阪市面積全体(223平方キロ)のたった2%にも満たない小さな『浪速区』が、世界中の人々の頭の中にある「大阪イメージ」の8割を背負い、その期待に応えるべくフルスロットルで頑張っています。
小さい体でありながら、大きすぎる期待を一人で背負って、大仕事を引き受け、大阪ことばで愛想よくお客様をおもてなしてくれはる『浪速区』ちゃん、けなげ過ぎます。
『浪速区』を人物に例えると、NHK朝ドラの『おちょやん』の小柄だけれど肝っ玉が大きい女の子『浪花千栄子さん(杉咲花ちゃん)』だと思います。
話を始めに戻してから、本題の映画の話に進めます。
本日は大阪市『浪速区』通天閣のお膝元「新世界」の界隈を舞台にしたボクシング映画『どついたるねん(1989年公開、阪本順治監督)』をご案内します。
浪速のロッキーこと「赤井英和」さんの自伝をもとに映画化したもので、赤井さんのボクシング人生の実話がたくさん詰まっています。
今や名俳優の赤井英和さんですが、近畿大学ボクシング部時代には1980年モスクワオリンピックのライト級の日本代表候補でした。当時は冷戦時代で、日本とアメリカはソビエト連邦主催のモスクワ大会をボイコットした為、赤井さんはプロボクサーに転向します。
プロボクシングの戦績は、21戦19勝(16KO)2敗。
全日本新人戦以降の12試合連続のノックアウト勝ちは、当時の記録を塗り替えた。
180cmの恵まれた体格と長いリーチから振り下ろす強烈なパンチ。
フットワークは軽く、モハメド・アリのように前へと思ったら一瞬で右・左に回り込み、打って打って、打ちまくる。とにかく早くて強い。
勝利インタビューは、大胆不敵にテレビカメラを見据えて、次の試合への意気込みをまくしたてる。
大阪弁で粗野に語るゴリラみたいな印象(すいません)とシャイな感じが、やんちゃな兄貴世代からファンが多かった。
当時、僕のいとこが、赤井さんが所属していた「グリーンツダボクシングジム」に練習生として所属していたので、いとこに連れられて『浪速区』の大阪府立体育館でのボクシング観戦に何度か行きました。小学生でしたが当時の拳闘の迫力を強烈に覚えています。
1983年のWBCタイトルマッチで赤井さんは、アメリカのブルース・カーリーに7回にTKOで負けてから二度目の世界タイトルに挑みます。
世界的名トレーナーのエディー・タウンゼントさんと二人三脚で挑んだWBC世界タイトルマッチは、テレビ中継されていたので、僕は良く覚えています。
1985年の2月5日の大和田正春(ミドル級、28戦16勝11敗1引き分け)に挑戦した二度目の世界タイトル。83年にダウンした苦々しい第7ラウンドの記憶が蘇る。
第5から第6ラウンドまで、左ガードで大和田選手の懐に入るが、ことごとく右ボディーを打たれまくる。
第7ラウンド序盤、赤井さんはフットワークが重くなり、コーナーに追い込まれる。ガードが甘くなった隙に頭を狙われる。強烈な連打に持ちこたえる。
一瞬ふらつく、コメカミの少し下にドスンと重いストレートを食らう。
両手のグローブはだらりと下がり、後ろへ頭から真っ逆さまにリングに沈む。
テンカウントが始まる。微動だにしない。いや、できない。
判定は、第7ラウンドのノックダウン負け。
赤井さんは、起き上がらない。
勝負の結果は、どうだって良いと僕たちは思った。
リングにドクターが駆けつける。
脳挫傷による意識不明の重体。
当時の僕らは、テレビの前で青ざめ、騒然とした。
「死なないでほしい」それだけを祈った。
急性硬膜下血腫の緊急手術が大阪府下の富永病院で行われる。
生存率50%の危篤状態。
ハイリスクな開頭手術が深夜に長くおよぶ。
在阪のスポーツ新聞各社、多くのボクシングファンが病院に駆けつけ、固唾を吞み見守る。手術は無事に成功するが、二度とボクシングはできない体となる。
ドクターストップで、ライセンスは保持できない。引退を余儀無くされる。
ここまでが、実際の赤井さんのボクシング人生です。
当時を振り返って、赤井さんは大和田さんとの対戦中の記憶がほとんど無い。
頭を打たれまくって、記憶が飛んだのかもしれません。
もしかして、思い出したくないのかもしれません。
だから、今でも赤井さんは負けた気がしていないかもしれない。
本作品は、この「負けた気がしない男」の物語がテーマだと思います。
ここからが、もし、赤井さんが引退せずにプロボクシングを再開したらの架空のドラマが始まります。
鬼才「阪本順治監督」が映画の中のフィクションの世界として、赤井さんのボクシング人生の再チャレンジを描きます。
本当の元プロボクサーの赤井英和さんを主人公(劇中では安達英志の役名)に仕立て、世界タイトルマッチに破れた浪速のプロボクサーの復活を描く。
阪本順治監督の手腕により、ドキュメンタリーと錯覚してしまうほどに物語が進み、観客はリアルなボクシングの世界に没入する。
『どついたるねん』が、阪本監督のデビュー作品で、当時31歳の若さでこれほどの名作の脚本・監督を務めたことに感激しました。
さらに、当時無名に近かった阪本監督の作品は、配給会社や映画館で取り扱ってくれなかったらしく、当初は仮設のテント劇場で上映し、口コミで評判が広がり、ビデオ配給で大ヒットしたそうです。
1987年公開当時、僕もレンタルビデオ店で本作を知った記憶があります。
さて、物語のイントロ部分を少しだけ、ご案内させてください(ネタバレは極力に避けます。
舞台は、1985年の『浪速区』の東の端、通天閣を望む新世界。
主人公の安達は、「ナショナルジム」に所属するプロボクサー。
(街の電気屋を改装した小さなボクシングジム。パナソニックのブランド名は「ナショナル」であった事を若い人は知らないと思いますが、この部分が映画のオチに使われますので補足します)。
世界タイトルマッチでノックダウンに倒れた安達は、意識不明の重体。
しかし、難しい脳外科の手術は成功し、死の淵から復活する。そして、驚異的なスピードで回復する。
一度は現役引退を決意するが、プロボクサーとしての再起の夢を諦められない。
そして、周囲の反対を押しのけ、4回戦ボーイとして、日本タイトルに再チャレンジする。
次の対戦相手はかつての後輩、ジュニアバンタム級「清田さとる」。
かつての先輩としてのプライドから、負けるわけにはいかない。
落ちぶれた安達(赤井英和)のセコンドとコーチに買って出るのは、かつてのウェルター級日本チャンピオン「左島牧雄(原田芳雄)。
脳外科手術を受けた安達にとって、打ち合いの試合にもつれ込むと、死ぬかもしれない。先行きは、緊張感しかない。
さて、赤井英和と原田芳雄の二人三脚の再チャレンジはどうなるか。
続きは是非に本作をご覧ください。
アマゾンやネットフリックなどの動画配信サービスでは見当たらなくて。
レンタルビデオ店かiTuneなどからのダウンロードになります。
本作の見どころは、大阪のディープな街『浪速区界隈』の風景が赤井さんのロードワーク(走り込み)のシーンを通じて映し出される。
昭和後期の大阪の風景が瑞々しく上映され、「あっ、ここの場所知ってる、木津市場横の線路沿いの道」とか、じんわりとマイナーな「大阪あるあるの風景」が楽しいです。さすが、堺市出身の阪本監督だけあって、並みのロケハンでは無いと思います。
それと、赤井さんが死に物狂いになる体重減量シーンが必見です。
ジャンジャン横丁で、骨付き鳥もも肉をむさぼり食らうシーンは、映画ファンにとって有名な場面です。
最後に原田芳雄さんの絞られた体とボクシング・フォームのリアル感。
元日本チャンピオンの役所、凄みが本物に見える。
当時、ほぼ現役の赤井さんを相手に受けるスパーリングが素晴らしくて、このシーンは鮮明に覚えています。
何事にもリアルを追求する原田芳雄さん。
2011年7月に70歳の若さで他界され、悔やまれるばかりです。
原田さんは鉄道研究家(タモリ倶楽部の常連)やブルースシンガーとしても有名で、名曲「プカプカ(作詞・作曲:西岡恭蔵)」が大好きで良く聞きます。酔っ払うと歌ってしまいます。
それでは、また来週まで。
おやすみなさい。