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2020.07.14

< 映画:イエスタデー #ダニーボイル監督 #ビートルズが消えた世界 #エドシーランはええ人 #拝啓、ジョンレノン >

タイトルが入ります

こんにちは、火曜日のツノムラです。

先週金曜日のコダマコトからのバトンリレーを受けて、今日はビートルズの映画噺。

 

かわぐちかいじ先生のコミック「僕はビートルズ」は、1961年の物語で、ビートルズが生まれる前に『僕ら』 がビートルズになっちゃう「青春群像」。

 一方、今回、ご紹介するのは、ダニー・ボイル監督の2019年公開映画「イエスタデー」です。舞台は、SNSがヒットを牽引する現在の音楽シーン。世界からビートルズが突然に消えてしまった。『僕』一人を除いて…。

 

 この二つの作品の着想は似ている。それぞれに“僕だけしか知らないビートルズ”のの伝道師として、ビートルズ降臨のビフォア⇄アフターのパラレル世界へ、時空を飛んじゃう噺。

ここらかは、あらすじについて少しネタバレ、ご容赦ください。

 

 売れないシンガーソングライターの主人公のジャック・マリックがスタジオでシャウトする。

 

<引用>

“And when I touch you I feel happy inside.

It’s such a feeling my love.

I can’t hide.

I can’t hide

I can’t hide.”

 

<和訳> 

“なんて言うかな、あんたに触れてると胸がきゅーんと来るんだよ。

     この高鳴りが愛なんだろな。

      隠しきれないんだ。

       隠したくても。

        隠しきれないんだ。

~ I Want to hold your hand  :抱きしめたい ~

 <1964年リリース、作詞・作曲:レノン=マッカトニー>

 

 

 現代を生きる僕たち、つまり物語の観客側は、この歌を聴いて当然ながらジョンとポールを可視化できている。

 しかし、劇中の演者は、別人が歌うイエスタデーを初めて聴いたのごとく熱狂する。悲しいかな、彼らは本当のビートルズを知らない。そして、次に何が起こるかも知らない。

 僕たちにとって、この映画は、いわゆる、ドリフ「8時だよ全員集合」の“志村! 後ろ‼︎  後ろ‼︎ ”の状態。僕だけが未来を知っている既視感と迫る危機感(今のうちに何とかしとけ。さもないとどえらいことになるぞ、みたいな親心)が物語をドライビングする。

 

 ダニー・ボイル監督の人物描写(ダニー節)の中心は、不協和音と全力疾走だと思う。トレインスポッティングのユアン、ビーチのディカプリオ、スラムドッグのジャマール。

 彼らは逃げるように走り、そして、必死で掴みとるように追いかけてさらに走る。

相手との気持ちが噛み合わない、だから全力で走ってもっと追い付こうとする。しかし、気づかずに追い越して、見失って、さらにズレが大きくなる。今回の映画の結末はどうなるのか、是非、本作をご覧ください。

 

ダニー・ボイル監督は、誰もが認めるイギリス映画界の至宝(ロイヤルシェイクスピアカンパニーの演出家、アカデミー最優秀監督賞、ロンドン五輪の芸術監督)。

 

 華々しいキャリアでありながら、実は40歳でようやく「トレイスポッティング」

がヒットした遅咲きの苦労人。

 彼は、ビートルズが生まれたリバプールの隣のマンチェスター出身で、ジョンと同じく両親がワーキングクラスでカソリック教徒。そこから、この映画は生まれた。

 

 物語の本筋から離れるが、なぜ映画の舞台は、リバプールから遠いブリテン島東端

のサフォーク州の漁港の街なのか。さらに、エド・シーランはこの役を引き受けた理由は何か(コールドプレイのクリス・マーティンが先にこの役を降りた経緯を知っているのに、エドは引き受けた。)。知りたいことが幾つかある。

 

 本作は、映画評論家からは、物語の構成や時間軸おける整合性について賛否が多いのも確かです(SFですから、ややご都合主義はご勘弁ください)。しかし、音楽映画としてだけではなく、ロマンティック・コメディとしても楽しんでもらえれば、嬉しいかぎりです。

 脚本は、「フォー・ウェディング」、「ラブ・アクチュアリー」のリチャード・カーティスですから、ラブコメ好きには大好物だと思います。

 

 主人公役のヒメーシュ・パテルは、南アジアルーツの新人映画俳優。イギリスのソープオペラ(橋田壽賀子的なテレビドラマ)の金字塔「イースト・エンダーズ」で10年のキャリアがあるが、映画経験はないうえでの大抜擢。ハニカミながらの甘い歌声とアコースティックギターの生演奏は完璧です。SNS動画でバズルであろう真実味がここにあります。

 

映画のエンドロールが終わって、『When I‘m Sixty-Four』 を聴きたくなった。

 

“僕が64歳になっても面倒を見てくれるかい”

“呑んだくれて、午前様で帰っても締めださないでおくれよ”

“用無しだなんて、つれないことは言わないでおくれよ”

 

 雨音の夜。今宵は、お酒ではなく、とびきり熱いコーヒーを飲みながらビートルズを聴いてみませんか。