2020.09.22
<映画:永い言い訳> #西川美和監督 #本木雅弘 #やっぱり嘘は罪 #自意識が邪魔をする>
こんばんは。
No Cinema, No Life.
火曜日担当のツノムラです。
唐突ですが、ほろ酔いでカラオケが生活の楽しみです。
コロナが感染流行する前の夜遊びが懐かしい毎日です。
大阪にはブルースの文化が根付いていて、酒場では遊び人の先輩方がグルーヴを醸して歌う場面に出会うことが多々ある。
僕は、有山じゅんじさん、上田正樹さん、木村充揮さんの歌声が好きです。
初秋を迎えて人恋しくなると、憂歌団の木村さんが歌う『嘘は罪(It’s a sin to tell a lie;Billy Mayhew 作詞・作曲)』を聴きながら、ウィスキーを一杯やりたくなる。
『嘘は罪』の歌詞の最後のフレーズ。
“ひとこと「好き」だと 言えばいいのかい?”
“やっぱり 嘘は罪”
この歌の投げやりな「好き」の一言に男の嘘と本音が見え隠れする。
シャ乱Qの「ズルい女」で言うところの、反対から見た「ズルい男」である。
つかずハナレズの男と女の距離問題について、酒場、街場の大兄のご見解を是非に賜りたい所存です。
さて、映画の話です。
自尊心(いじらしい男のプライド)の域を超えて、「ゾッとする」ほどに自意識過剰な男が主人公の映画を昨日観ました。
日が明けて、その映画について、まだ頭の整理がつかなくて、前日の余韻がまだ尾を引いています。
その映画は、2016年公開の西川美和が原作、脚本、監督の『永い言い訳』です。
自意識過剰な男を演じるのは本木雅弘さん。
そしてこの男には勿体無いほどの妻役は、深津絵里さんです。
本作の主人公「津村啓(本名:衣笠幸夫)」について、ご案内させてください。
その男は、知的でお洒落でハンサム。
気配り上手の優しい小説家。
お茶の間で人気のテレビ・コメンテーター。
溢れ出る野心を微塵も見せずにクールに立ち振る舞う。
誰もが一目で彼を好きになる。
にも関わらず。
バックミラーに映る自身のルックスを誰にも悟られずにチラリ目で確認する。
「イケてるかも。みんな、俺のことをどう思っている?」と眼鏡に手をやる。
帰宅すると無意識にGoogleでエゴサーチに走る。
「まんざらでも無い」と一人安堵する。
そんな夫への妻の目線
『自意識が彼の良さを邪魔する。
悪人ではない。愚かでもない。
自分以外のことに興味が持てないだけである。
そのことで小さな失敗を積み重ねていることに、まだ彼は気がついていない』
夫に対する妻の心眼は紛れがない。
しかし、そのことを彼女は決して口に出さない。
顔にも出さない。
彼女はあえて沈黙し、静観する
スクリーンのこちら側で見ている僕たち(夫側の僕たち)は、この部分に「ゾッとする」。
映画を見終わって、僕は自分の胸に手を押し当てる。
これまでの自分の素行と自意識過剰ぶりを思い返す。
いったい全体に妻の沈黙は、「優しさ」なのか「あきらめ」か「逆襲を待ちわびる」ものか、背中に冷や汗がにじむ。
この感情の揺れが、映画鑑賞後の男ども(僕を含めて)をザワつかせる要因だと思います。
映画の前半は夫婦の物語です。既婚者にとってはヒリヒリするかもしれません。
しかし、後半は二つの家族が一つの家族になる「一つ屋根の下」的な愛情物語です。
誰にも子供時代があり、西川監督の丁寧な家族風景の描写が、その頃のことを鮮明に思い出させます。
映画を見ながら、今になって「何故に親があんな事を口に出したのか?」かが突然に解けた。
でも必死に涙をこらえた。
自意識が邪魔をした。
映画に漂う「細やかな日常情景」や「たわいの無いセリフ」のあるあるが、自分自身のノスタルジーや自己嫌悪と重なり合って、不思議で複雑な正体不明のテンションに引き込まれます。
僕にとって、最高の「フィルム・ノワール映画」です。
西川監督の映画は、物語の展開はシンプルで、映画評を読むと「なーんだ、そんな感じのお話なんだ」と思われがちです。
ですから、ここでは映画のあらすじは、ご紹介しません。
是非、本作をご覧ください。
アマゾン・プライムでも動画配信しています。
(ただし、二人の大切な人を不慮の事故で亡くす物語です。
辛い映画です。
死は生者の中で生き続け、忘れることはできません。
私見ですが、ご家族を亡くされた方やお子様にはあまりお薦めできません)
最後に僕の気になるポイントを紹介させてください。
<その1:自分でけりを付ける>
西川美和監督の作品の好きなところは、主人公は「最後は自分でけりを付ける」ことです。
『ディア・ドクター』の笑福亭鶴瓶さん、『夢売るふたり』の阿部サダヲさん、彼らは悪人では無いが、少し愚かである。
愚かさが人を傷つけたかもしれない。
であれば、償わなければならない。
しかし、「傷をつけてないなら償わなくても良い」とも言いたくなる。
登場人物の善悪の複雑さ。見ているこちら側は、白黒をはっきりさせたく無いと感じる正体不明のモヤモヤ。
でも、彼らは最後に償う。正しい結末だったのか?
誰かと話したくなるのが西川作品の魅力です。
<その2:竹原ピストルの静かな凶暴性>
本作のもう一つの家族の父親「大宮陽一」を演じる竹原ピストルさんは、チビリそうになるくらい恐ろしい。
拳が大きく、身体がゴツい。
一見して暴力で何でも解決しそうな巨漢の風貌。
いつも、単純明快で一直線の思考である。
さらに、一切の嘘も許すことができない。
常に正直で、嘘をつかない。
だから、嘘だらけの本木さんをいつに殴り倒すか?
僕は、ヒヤヒヤしながら見ていました。
取り返しのつかない結末になればどうしようと思いながら。
<その3:汝は妻の携帯を開くことなかれ>
『男は小さな嘘をつく。
いじらしい自尊心ために。多分…。僕も含めて』
『女は大きな嘘をつく。
誰かを傷つけないために。多分…。知らんけど』
だから、妻の本音を綴った日記やブログ、ましては携帯電話など絶対に触れてもいけなし、パスワードを解読して開いてもいけない。
しかし、主人公の津村啓こと本木さんは、妻の携帯を開いてしまう。
頓馬である。
そこに、幸福など見出せるはずもない。
男女問題研究所の研究員に憧れる身として、僕なりに忠告します。
『汝は妻の携帯を開くことなかれ』
最後に、第二次ベビーブーム世代(1970年~75年生まれ)の僕らにとって、深津絵里さんは女神(ミューズ)です。
ただただ、憧れの存在です。
どれだけ長く見ていても時間を忘れる美しい存在です。
それだけでも、本作は素晴らしい映画でした。
明日は4連休明け、早く寝ます。
おやすみなさい。