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2020.10.06

<映画:しゃべれども しゃべれども>  #平山秀幸監督 #佐藤多佳子原作 #古典落語と青春映画 #師匠と弟子>

タイトルが入ります

 

 こんばんは。

 No Cinema, No Life.

 火曜日担当のツノムラです。

 

 唐突ですが、古典落語が好きなんです。

 

 

 三代目 古今亭志ん朝師匠の『火焔太鼓』

 二代目 桂枝雀師匠の『愛宕山』

 十代目 柳家小三治師匠の『死神』

 

 

 四代目 桂福團治師匠の『蜆売り』

 

 呑気な商人としっかり者の女房、旦那と舞妓と太鼓持ち芸人、グリム童話のような数奇な男、偽善と義侠が見え隠れする大泥棒。

 

 滑稽で悲哀に満ちた登場人物達が、僕たちの頭の中で演じ始める。

 笑っちゃうし、泣いちゃう。

 

 僕は、柳家喬太郎師匠が一番好き。

 

 人情噺から滑稽噺までは幅広く演じる古典落語のファンタジスタ。

 突如にぶっ飛んだキャラが憑依する新喜劇のような新作落語。

 

 底抜けに面白くて、落語のジャンルを超えた天才演劇人だと思います。

 

 

 

 師匠の古典落語『文七元結』、『仏壇叩き』から「大人らしさ」について、小膝を叩きながら共感し、「良い勘違いと無償の愛情」について深く学んだ。

 

 『時そばの枕部分(コロッケそば)』を思い出し笑いをすると、どんな辛いことも乗り越えられるほどに愉快です。

 

 ドラッグストアーなんかで、大声で怒り怒鳴っている老人なんかを見つけると、強制的に喬太郎師匠の落語を聴かせたくなる。

 

 大笑いして、寛容さを取り戻すはずである。

 無駄に怒っている方へ、落語を側に処方しませんか?

 

 話を戻します。

 

 

 古典落語の魅力は、登場人物に対する噺家それぞれの解釈の幅と個性だと思います。

 

 古典であるが故に、聴いているこちら側は、その噺の筋書きは既に知っている。

 

 聴衆は、既にデジャブ(既視感)を持ち合わせて寄席に着いている。

 

 その上で、噺家はその既視イメージを超える独自の解釈で、登場人物を立体的に組み立てて、話芸と扇子一つで我々の脳の奥の銀幕に活劇を映写する。

 

  我々の空想、妄想、イマジネーションの断片を風呂敷に一包みにしてシャッフルして、噺家はファンタジーとイリュージョンの手札に替えて見せてくれる。

 

 落語は、脳内マジック・ショーである。

 

 映写機を使わない映画である。

 

 隣に座っているあなたと僕とでは違う『絵』を観ているかもしれない。

 

 これだから「落語好き」はやめられない。

 

 さて、本日は、古典落語の噺家が主人公の映画をご紹介します。

 

 2007年公開、平山秀幸監督、国分太一主演の『しゃべれども しゃべれども』です。

 

 

 前座から二つ目に上がったばかりの落語家「今昔亭三つ葉(国分太一)」は、古典落語が好きでたまらない。

 

 普段の生活も古典落語の中に生きようとしている。

 

 江戸弁で話し、着物と下駄で蕎麦屋に通い、冷酒のぐい呑みをちびりと進め、蕎麦を啜る。自宅にはエアコンはない。風鈴と扇風機で涼をとる。

 

 左党で呑み始めると長く、同門の噺家を相手に落語談義に耽る。

 熱血すぎて、観ているこちらが恥ずかしくなる。

 

 バスの中でも人混みでも、人目を気にせずに新しい演目を口に出してネタ繰りをする。神経衰弱ではなく、古典落語に取り憑かれている。

 

 落語に対しては、根っからの真面目である。

 

 問題は、彼の落語が面白くない。

 

 

 師匠の今昔亭小三文(伊東四朗)に稽古をつけてもらうように懇願するが断られる。

 

 「あなたの落語には工夫が足りない」

 

 「お客様を噺の世界に引き込んでいない」

 「ただ、筋書きをしゃべっているだけで、誰も噺を聴いていない」

 「俺の落語の真似をしてもダメだ、自分の力で噺の人物をこしらえなさい」

 

 師匠の助言は真っ当であるが、彼には具体的な壁の超え方が見つけられずにモヤモヤと毎日を過ごしている。

 

 僕はこのシーンで思わず、映画再生の一時停止ボタンを押した。

 

 23歳で設計事務所に就職して、20代半ばの駆け出しの頃に結果が出せなかった自分自身を思い出して、血圧が一気に上がった。

 

 どうすればクライアントからのデザイン・コンペで他社競合から勝って仕事を取ることができるか?

 企画書のアイデアを教えて欲しいと師匠(上司)に懇願したことがある。

 今思うと直接的すぎる質問であり、自分の稚拙が恥ずかしくなる。

 

  僕の上司は、言った。

 

 「俺のアイデアを真似るのはセコ(下らない)だぜ」

 「君には工夫が足りない」

 

 20代の頃は「何が解らない」かを、わからずの暗闇の七転八倒の時代でした。

 当時は師匠がその解答を持ち合わせていると信じていた。

 そして、苦労をせずにその「解答」を手に入れようと都合良く、安易に走った。

 

 

 師匠と同じ年頃の40代後半に僕もなった。

 当時を振り返ると、師匠だって明確な「解答」を持ち合わせていなかったと思う。

 

 ただし、経験値から『引き出し』を持ち合わせていて、そこを開けて『それっぽい』ヤツを取り出して、自分の言葉で言い換えてクライアントに投げかけていたのだと思う。

 

 すべての問いに対して、明確な『解答』など幻想にすぎない。

 それは演者(デザイナー)と観者(クライアント)とで協働して、『丁度良い塩梅の絵姿』を組み立てるしかない。

 

 師匠と弟子。

 落語と仕事。

 すべてのクリーションの原動力は同じ気がします。

 

 話がそれました。映画の話に戻します。

 

 

 落語の壁にぶつかる今昔亭三つ葉に対して、師匠は十数年ぶりの落語一門会を開くから「お前も新ネタを話せ」とチャンスを与える。

 

 プレッシャーの中、三つ葉は新しい取り組みを始める。

 その中で、彼はもう一度、新しい落語の世界に生き始める。

 

 一門会の彼の演目は『火焔太鼓』

 

  大ネタ中の大ネタである。

 

 登場人物が多岐にわたる。

 細かい「くすぐり」を仕込む。

 そして爆笑を的確に回収しなければならない。

 

 最後の下げをすらりとやってのければならない。

 柔らかい話だからこそ、流暢にやるのが難しい。

 

 硬い表情、真面目一本槍の三つ葉にできるのか?

 

 続きは、是非に本作をご覧ください。

 ネットフリックスにて、動画配信しています。

 

 20代の皆様には今の自分と重なる部分が多く。

 40代以上の皆様には、甘酸っぱく、懐かしく。

 

 嬉し恥ずかしの青春の落語映画です。

 

 八千草薫さん(故人)の『饅頭こわい』の口ずさみが一番上手い落語でした。

 昭和の大女優は本当に芸達者です。

 

 

 

 それでは、また来週まで。

 おやすみなさい。